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あいじえん

ここは “ふろしき”あいじえん

「神は人を分け隔てなさらないことが、よく分かりました。」

(使徒言行録10章34節より )

★10月末、宇治教会夕礼拝で、今年8月に「日本キリスト教団京都教区・ネパールワークキャンプ」に参加した同志社高校・同志社大学の学生さんが、その体験を報告してくれました。その中でとても印象に残った言葉があったので、以下に紹介します。

★「街はぐちゃぐちゃ。交通ルール一体どうなってるん?学校制度も一体全体どうなってるのやら?国中、色んなものがぐちゃぐちゃな感じや…。あらゆる分野で秩序の際立っている日本とは大きな違いを感じました。でもそれは決して悪いことではなく…」と、次の譬えを用いて話は続きます。

「それは“スーツケース”と“風呂敷”の違いだ」と。

★お分かりでしょうか?硬いスーツケースにモノを入れるには、モノをケースのサイズを合わせないと入れられない。ケースや枠にはまるよう矯正されて、場合によっては折ったり削ったりしないと入れられない。一方、風呂敷にモノを入れるには、丸でも四角でも曲がっていても長くても、それらはなんとか包み込むことができる。「日本の教育って、“スーツケース”の中にしっかりと納まるようにすることが良いこととして求められているのかも・・・。はたしてそれでいいのかどうなのか? ネパールに行ってそのことに気づきました」。こう語ってくれた青年の言葉は、実に刺激的で身に染みるものでした。

★キリスト教保育を実践する愛児園です。キリストの御手、それは風呂敷のようなもの。まるい子や四角い子、大きい子や小さい子、物静かな子や走り回る子…。実に様々な子どもたちが、今日も大きな〈風呂敷〉の中で遊んでいます。風呂敷の中に集まるあいじえんっ子は、その緩やかな環境の中にあって、自分たちで遊びのルールを見つけ作り出していきます。そこには全く“ケース”がないのではなく、大人の用意したものでない自分たちだけの「伸縮自由なケース」を作り上げているようにも見えてくるからたのもしい限りです。

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