「言は肉となって、私たちの間に宿られた。」 (ヨハネ福音書1章14節)
★年が明けたのに、ちょうど1ヶ月前の「クリスマス・ページェント」のことを思い出しています。特に宿屋さんのシーンを見ながら、あれこれと考えていました。私たちはついつい「あ~忙しい!」「今は無理…」「また今度にして!」などと心の余裕をなくして、人と(もちろん子どもとも)接してしまいがち。
♪馬小屋でしたら空いてます~♪
と、宿屋さん役の子どもが歌うこの台詞、私たちに何かを訴えていないだろうか? つまり粗末な馬小屋でもいい、イエスさま、すなわち “神さまの愛” を受入れる心の余裕が必要なんだよな~、としみじみ感じたものでした。
★ところで、今年の年末年始、沖縄の長男夫婦が9ヶ月の赤ん坊を連れて帰省。孫を抱っこしながら、27~8年前は長男も同じように抱っこされていたんやな~としみじみ。そして同時に、クリスマスにお生まれのイエスさまも、こんなふうに“抱っこ”できる存在として世に現れたのだ!と、またまたしみじみしていたのでした。
★皆さんも、我が子が赤ん坊だった時のこと思い出してください。そこに上記聖書の言葉を重ねてみましょう。きっとイエスさまもこんなふうに「私たちの間に宿」るため、腕の中に来てくださっているのかもしれない・・・と。
★今年も愛児園が、救い主イエス・キリストの光輝く小さな“馬小屋”となって、そこに赤ちゃんイエスさまを優しく抱っこし、イエスさまの愛を体いっぱいに受け入れて過ごす子どもたちがいる。
この風景を大事にしながら、2020年の歩みを始められる幸いを感じています。
Comments